ロシアによるウクライナへの軍事侵攻開始から3年――映画『犬に名前をつける日』やフジテレビ『ザ・ノンフィクション』の「犬と猫の向こう側」「花子と先生の18年」などで知られる山田あかね監督が、現実を自分の目で確かめるため、現地での取材を重ねて撮りあげたドキュメンタリー映画『犬と戦争 ウクライナで私が見たこと』が公開された。
動物がひどい状況に置かれていると聞いて現場に向かい、「必ず命がけで動物たちを助けている人たちがいる」「そういう人たちが必ず現れるし、それを伝えなくてはと思う」と感じたという山田監督に、改めて強くした思いを聞いた。
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『犬と戦争 ウクライナで私が見たこと』山田あかね監督
東日本大震災や能登半島地震での取材経験から気になった“戦地”
――ウクライナへの侵攻開始から約1カ月後に、取材のためにポーランドからウクライナに入国していたそうですが、そもそも『犬と戦争』を撮ろうと行動したきっかけを教えてください。
ロシアによるウクライナへの侵攻が始まり、私もみなさんと同じようにテレビやネットでいろんな映像や写真を見ていました。そのとき、瓦礫(がれき)の中で1匹の中型犬を抱えて逃げる人の写真を見たんです。それで改めて「戦争でも動物を抱えて一緒に逃げる人もいる」と思いました。
これまで東日本大震災後の福島の警戒区域や昨年1月の能登半島地震の被災地などにも行きました。そこには動物を助けたり、一緒に連れて逃げたりする人がいると同時に、どうしても置いて逃げざるを得なかった人たちがいました。では「戦地ではどうなるのか」と考えたとき、やはり連れて逃げる人が実際にいるんだと。その姿を見て、「自分で取材しなければ」と思ったんです。
――本編には冒頭から「ボロディアンカの悲劇」と呼ばれる衝撃的な映像が登場します。ロシアの侵攻によって、キーウ近郊の街・ボロディアンカにあるシェルターが1カ月以上にわたって放置され、収容されていた約500匹の犬たちのうち、222匹が死にました。監督は、国境で動物を救うために活動する人々や、「ボロディアンカの悲劇」から救出された犬の一部を引き取ったケンタウロス財団の取材中、救助に向かったボランティア(本編に登場する動物愛護団体「フボスタタ・バンダ」代表のオレーナとアナスタシア)が撮影した映像を目にすることになりました。
アナスタシアによってあの映像が撮られたのは4月2日。私がそのときケンタウロス財団の取材でポーランド国境にいたのが4月18日か19日でした。すぐにそこに行きたかった。「これは一体どういうことなの? ロシア軍が何かしたの? 誰のせいでこうなったの?」と。
しかしロシア軍が撤退し始めたのが3月31日頃で、まだそこに地雷がある中、そのときの私たちはウクライナ語の通訳も確保できていない状況でした。あまりに危険ですぐに行くことはかなわなかった。そのときは何も分からなくて、とにかく犬が死んでいて、ひどいという話だけ。でも、何がどうしてそうなったのか、やはり伝えたい。「行くしかない」と思いました。
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悲劇が起きたボロディアンカのシェルター (C)『犬と戦争』製作委員会
犠牲になった動物たちに約束「伝えておくから」
――その後、実際に現場に行かれました。
私が実際に行けたのは1年後くらいなので、犬の遺体があるわけではないし、シェルターの中も片付けられていました。とはいえ、「ここでたくさんの犬が死んだ」という空気は感じました。だいぶ片付けられてはいるんですけど、逃げたくて窓をガリガリ削った跡とか、必死に土を掘って外に出ようとした跡が微妙に残ってるんです。
閉じ込められてご飯がなくて、つらかったろうなというのが伝わってきました。衝撃を受けましたし、本当にかわいそうだと思いました。それに、そこはとにかく広大な敷地を持った施設だったので、ドアさえ開けておいてくれれば、敷地内でどうにか生き延びられたのでは、どうして閉じ込めたままにしたのだろうという気持ちに、どうしてもなってしまいました。
――もともと日本からウクライナに向かったときには「ボロディアンカの悲劇」のことを知らなかったわけですが、結果的にその悲劇についても追うことになりました。
犠牲になった動物の姿を見ることになるのはつらいことだけれど、隠してなかったことにするより、死んでしまった彼らに「君たちが悔しい思いをして死んでいったことを、遠い日本で私はみんなに伝えておくから」と、シェルターに行ったときに約束したんです。