私は常日頃から「一日Twitterを62時間やっている」と言っているが、これはあながち嘘ではない。

なぜなら私は、デイトレーダーのように、スマホ、PC、タブレットで三方向囲まれる形でTwitterをやっているからだ。3台のトータルTwitter稼働時間を合わせれば、62時間ぐらい行ってしまうのではないだろうか。

ちなみに3台使っているのはアカウントを3つ持っているからではない。アカウントを分けるなんて器用な真似ができたら、何の分別もしていない銀行口座を自ら4つも作って確定申告を地獄にしたりはしない。

つまり同一アカウントを3画面で表示させているだけだ。

なぜそんなことをしているかというと「そういう病(ビョウ)だから」としか言いようがないが、その病(ビョウ)が役に立つこともある。

Twitterというのはアプリ版とブラウザ版で微妙に違い、アプリで行われたアップデートがブラウザではされていないことがある。また、アプリで起こった不具合が、ブラウザでは起こっていないということもたまにあるのだ。

よって先日、「つぶやきの検索結果が時系列順に表示されなくなる」という、一言でいうと「エゴサーチャーを殺す不具合」が起こったときもブラウザ版には無影響だったため、1秒間に10回自分の名前でエゴサをしながら、血反吐を吐いて死んでいく他のエゴサーチャーを高みの見物であった。

エゴサーチャーとしてのリスクヘッジを考えるなら、あらゆる電子端末でTwitterを使うのはもはや常識と言えるだろう。

リスクヘッジ万全のエゴサーチャー、「歴史的瞬間」を見逃す

話は変わるが、先日TwitterのTLが「見づらくてしょうがない」という意見であふれかえっていた。どうやらTwitter名物クソアプデが行われたらしい。

しかし私のスマホは最近ウマ娘が1日27時間稼働中なため、主にPCでTwitterをやっていた。そのため見づらくなったらしいアイフォーン版のTwitterをなかなか確認することができなかった。

だが、焦って確認することでもないし、そのうち嫌でも目にするだろうと思い、放っておいた。

実際これほど焦って見にいく必要がないものも珍しいのだが、機会を待っていたらなんと元に戻ってしまったらしい。

つまり、あのTwitterが秒で対応するレベルのクソ仕様であり、ユーザーとしてはそれこそ見る価値なしだったのだろうが、Twitter研究家としては瞬きしている間にケネディが死んでたぐらいの見逃しである。

Twitterがユーザーのお怒りを即反映するというのは実は結構珍しく、今までどれだけ新機能が「いらない」とユーザーに言われても撤去せず、かと言ってユーザーに受けいれられるように改良するわけでもなく「そのまま」というケースが大半であった。

インスタのストーリーズこと「フリート」が数カ月で消されたのは記憶に新しいが、あれはユーザーの意見を反映したというより、せっかくインスタのストーリーズを実装したのに、使っているのがツイ廃のみという事態に「自分で自分が許せなくなった」結果の自決、または内部粛清のような気がする。

そんな、ユーザーの要望より、あくまで自分がなりたい自分を優先するTwitterがすぐに仕様を戻したということは、Twitterの存続が危ぶまれるレベルの苦情がきたということではないだろうか。

Twitterが珍しく折れた「ホーム表示」の撤回

  • Twitterの「大胆な」仕様変更、ブラウザ版への反映は緩やかなので、3画面編成は最高のリスクヘッジかも

    Twitterの「大胆な」仕様変更、ブラウザ版への反映は緩やかなので、3画面編成は最高のリスクヘッジかも

では、あのTwitterが折れるレベルの改悪がどんなものだったかというと、Twitterを開いたとき、自分のつぶやきやフォローしている人の最新つぶやきで構成されたTLではなく、トピックや他人がいいねしたつぶやきが表示される「ホーム」が表示されるようにしてしまったようなのだ。

ホーム画面なのに、最初に出てくるのは完全にアウェイなTLなのである。

つまり、俺が俺のために作ったTLではなく、Twitterさんが「お前こういうの興味ありそうじゃん?」と選んできたツイートがメインに表示されるようになってしまったということだ。

最近のTwitterは俺チョイスのつぶやきを見ろよという圧がかなり強くなっていた。
アルゴリズムによるTwitterチョイスは、好きな動物の写真を流してくれたりと自分好みツイートを表示してくれることもなくはないのだが、「逆カプイラストを表示してくるようになった」という噂もある。

つまり今回の仕様変更で、Twitterを開いた瞬間逆カプに遭遇するという「出会い頭の正面衝突による事故死」が起こる可能性も出てきた、ということだ。

それをそのままにしておくというのは、死亡事故の危険性がある電化製品を回収しないのと同じである。

ホーム画面からスワイプするといつものTLに切り替えることもできたようだが、ユーザーというのは今まで直に行けていた場所にドアが1枚追加されただけで面倒くさいと感じるものである。便所でさえ、ドアがもう1枚増えたら諦めてその場でしてしまうかもしれないのだから「Twitterをやめる」となっても不思議ではない。

いらない機能が増えただけなら使わなければ良いだけの話だが、Twitterの目的である最新TL画面を見る工程が面倒臭くなったというのは致命的なのだ。

そのせいか、異例の速さで元に戻すことになったようである。

元に戻ったのは良いが、あれだけ俺たちの意見を無視し続けたTwitterが意思を曲げたことには一抹の寂しさを感じる。

しかし元に戻したのは「あくまで代替え案が見つかるまで」とのことで、全然諦めていないようで安心した。

ここまで意志の強い会社が作ったツールが、なぜ意志も自我もない我々に好かれてしまったのか、ある意味申し訳ないと思う。