国内パソコン市場に相次いで参入する海外PCメーカーに対して、国内だけでパソコン事業を展開していては太刀打ちができないと判断したNECは、価格競争力を高めるには、グローバルで規模を追求することが最大の対抗策になると考えた。
そこでNECは、低迷するパソコン事業の起死回生に向けて、大きな一手を打った。
それが、米パソコンメーカーであるパッカードベルの買収であった。
-
NECのパソコン事業の変遷(NEC 120年史より)
起死回生の一手は、大きな痛手に
パッカードベルは当時、米国の家庭向けパソコン市場において50%近いシェアを持ち、世界のパソコン市場でもトップシェアに迫る勢いを持っていた企業だ。
NECは、国内パソコン市場におけるコモディティ化の進行や、Windowsの広がりにより、シェアが低下するなか、グローバル市場で生き残るためには、全世界で約10%のシェアを獲得することが最低条件になると捉え、パッカードベルの買収が、こうした状況を打開する起死回生の一手になると位置づけた。そして、世界一のPCメーカーになるというシナリオも描いていた。実際、パッカードベルの海外での実績と、NECの日本国内での実績を合わせると、一時的に世界トップシェアを誇るパソコン事業グループになっていたほどだ。当時のNECの資料によると、1995年のNECのPC-9800シリーズの年間出荷台数は280万台、NECの海外向けPCの出荷台数が50万台、パッカードベルの年間出荷台数は400万台であり、合計で730万台を出荷。「日米トップメーカー同士の提携により、世界最大出荷規模のパソコン陣営が成立することになる」としていた。
NECは、1995年8月に、パッカードベルの19.99%の株式を取得。さらに、1996年7月には、NECの海外パソコン事業を統合してPackard Bell-NECを発足し、同年10月には、日本法人として、パッカードベルNECジャパンを設立。さらに、1998年7月には連結子会社化することを発表し、規模の追求を目指した。
もともとパッカードベルは、欧州パソコン市場において、仏ブルと提携関係にあった。一方で、NECは、長年に渡り、仏ブルとの戦略的パートナーシップを構築し、ブルの主要株主にも名を連ねていた。つまり、NECにとっては、パッカードベルは提携しやすい相手でもあったといえる。
また、NECとパッカードベルの製品や対象市場が、補完関係にあることも好都合であり、日米欧の主要パソコン市場を網羅したワールドワイドの提携関係の構築によって、NECのパソコン事業拡大に弾みがつくものと大きな期待がかけられた。
-
当時、パッカードベルNECジャパンの製品として発売されたパーソナルコンピュータ Versa
-
こちらもパッカードベルNECジャパンの製品として発売されたパーソナルコンピュータ Pack Mate
しかし、その思惑は、期待通りには動かなかった。主力となる米国パソコン市場において、コンパックやデルが、新たな生産方式や流通革命によって台頭。旧来の生産方式や流通システムに頼ったPackard Bell-NECは苦戦を強いられ、NECは、たび重なる資金の投入に迫られた。投資総額および投融資の総額は、合計で約2000億円となり、最終的には単独経営権取得による経営のテコ入れをしたにもかかわらず、業績は低迷し、巨額の損失を余儀なくされてしまったのだ。
さらに追い打ちをかけたのが、Packard Bell-NECによる品質問題の発生だ。加えて、財務体質にも問題があり、NECが株主として参画した1995年度以降、パッカードベルは赤字に陥ったままの状態だった。最終的には、NEC全体の業績に影響するほど、収益が悪化してしまったのだ。
NECが目論んだ規模の追求によって、海外PCメーカーに対抗し、世界トップシェアを狙うという野望は、実現するどころか、逆にNEC全体の経営の足を引っ張ることになってしまったのである。
NECは、1999年5月に、Packard Bell-NECを個人向けパソコン事業から撤退させ、企業向けパソコンとサーバー事業に特化することを決断。さらに、同年6月にはパッカードベルNECジャパンを解散。欧州や中東、アフリカでパソコン事業を行っていたPackard Bell NEC Europe B.V.に、日本と中国を除く全世界のパソコン事業を一本化。社名をNEC Computers International B.V.に変更し、コンシューマ向けPC事業を、Packard Bell B.V.として分離。さらに、2008年には欧州のコンシューマ向けPC事業を売却し、2009年にはアジア太平洋地域からも撤退。最終的には、NECのパソコン事業は、日本国内のみで継続するという状態に、逆戻りしてしまったのだ。
本丸の国内パソコン事業も苦境、加速する再編の流れ
14年間に渡る世界への挑戦は、花開くことなく、振り出しに戻った。
しかし、もちろんこれで問題が解決したわけではなかった。国内のパソコン事業は、相変わらず厳しい状況が続いていることに変わりはなかったからだ。
国内における市場シェアは、首位を維持していたものの、2010年度には、20%を切る水準にまで下がっており、かつてのような50%を超えるシェアを誇っていた時代に比べると、市場での存在感ははるかに低くなっていた。
また、開発から生産、販売までを、NECグループで完結する仕組みのため、固定費が重くのしかかり、収益はなかなか改善しなかったことに加え、「パソコン事業はNECブランドのフラッグシップである」との認識が依然として強く、トップシェアの維持が求められ、その結果、強気の生産計画が余剰在庫を生み、値引き販売によって利益率が低下するといった悪循環につながり、赤字体質が常態化する事態になっていたのだ。
実際、1999年に西垣浩司氏が社長に就任して以降、NECでは、パソコン事業をノンコア事業に位置づけるようになり、2001年度以降、パソコン事業の採算性改善に向けて、大胆な事業統合や再編に乗り出した。
先に触れたパッカードベルを対象にした海外パソコン事業の再編だけでなく、2001年10月には、国内のパソコン関連事業を分社化することを決定。開発、生産を行うNECカスタムテクニカ、販売を担当するNECカスタマックスの製販2社体制に再編。2003年7月には、この2社を統合し、NECパーソナルプロダクツを設立した。さらに、2004年7月には、サポートを行うNECカスタムサポートを統合して、製販およびサービスを一体化した体制を構築した。また、同時に、生産拠点の整理や人員削減なども行ってきた。
だが、こうしたテコ入れを進めたものの、NECのパソコン事業は、2000年代後半まで黒字と赤字の繰り返しが続く状況に変わりはなかった。
ここに追い打ちをかけたのが、2008年秋のリーマンショックである。NECパーソナルプロダクツの業績は一気に悪化し、2008年度におけるパーソナルプロダクト事業の業績は、約132億円の赤字を計上してしまったのだ。
国内パソコン市場の成長が横ばいのなか、毎年のように大幅な単価下落が進み、収益を確保することに苦しんできたNECにとって、もはやその対策も限界になりつつあったといえる。
大幅な赤字を計上したことを契機に、NECは、さらに一歩進めたパソコン事業の再編に向けて動き出した。
それが、ジョイントベンチャーによる立て直しだ。
再び世界と戦うために、レノボとのジョイントベンチャーへ
社内には、NECの象徴ともいえるパソコン事業を手放すことに対して反対する声もあったが、IBM PC/AT互換機とWindowsというグローバルスタンダードの登場によるコモディティ化と、グローバル規模の分業体制が主流となるなかで、グローバル市場での足場を築くことができなかったNECのパソコン事業は、このままでは世界を相手にした戦いができず、縮小するばかりになると判断していた。
実際、2010年度に国内PCメーカー各社が打ち出した出荷計画は、東芝が約2500万台、ソニーが880万台、富士通が580万台であったのに対して、NECは、国内事業に集中したことで、わずか270万台に留まるという水準だった。
そして、その当時の海外PCメーカーは、首位のヒューレット・パッカードが年間6000万台以上、2位のエイサーが4500万台以上、3位のデルが4000万台以上、4位のレノボが3000万台以上の出荷規模を誇っており、圧倒的な調達力を生かす規模の違いは、もはや埋めることができないものとなっていた。
国内ではトップシェアではあっても、まさに「井の中の蛙」という状態でしかなかったNECは、自らが得意とする日本のパソコン市場においても、太刀打ちできない状態になるのは時間の問題といえた。言い換えれば、NECにとってみれば、国内シェアナンバーワンを維持している段階で、そのボジションを継続するためにも、新たな一手を早急に打つ必要があったといえる。
約1年にわたる交渉の末、事業再編のパートナーに選んだのは、レノボグループだった。
-
NECがパソコン事業再編のパートナーに選んだのは、レノボだった
-
NECとレノボグループによるジョイントベンチャーを発表した両社の幹部
2011年1月、NECとレノボは、合弁会社であるLenovo NEC Holdings B.V.を設立することを発表。NECが49%、レノボが51%を出資し、NECブランドの維持やイコールパートナーとして協力することなどを確認した上で、NECレノボ・ジャパングループを創設。合弁会社の傘下に、NECパーソナルコンピュータを設立し、NECパーソナルプロダクツのパソコン事業を全面的に移管。新たなジョイントベンチャーがスタートすることになったのだ。両社による合弁会社は2011年7月にスタートしている。
-
NECが49%、レノボが51%を出資し、NECレノボ・ジャパングループが2011年7月にスタート
NECの遠藤信博社長(当時)は、「NECにとって大きな広がりを与える提携になる」と前置きし、「グローバルのPCマーケットで4位のレノボの力と、長い間、国内市場ナンバーワンを維持し続けているNECとの戦略的提携によって、より大きな強い力が生まれ、マーケットポテンシャルを築き上げることができる。NECの企画力や開発力、品質の強みに加えて、レノボのワールドワイドのスケールメリットを生かした調達が可能になる。収益性の改善と、国内市場における圧倒的なナンバーワンシェアを目指すことができる」と、記者会見でコメントした。
-
握手するNECの遠藤信博社長(当時、右)と、レノボのヤンチン・ヤン会長兼CEO(左)
このとき、重要なポイントになった要素が2つある。
ひとつは、ジョイントベンチャーの形態をとったことだ。
レノボグループは、2005年のIBMのパソコン事業の買収において、ThinkPadなどのブランドは残したものの、IBMブランドは期間限定で使用。組織そのものもレノボのなかに完全統合するという手段を取った。しかし、その結果、多くの社員が退職したり、ThinkPadのユーザー離れが起き、シェアが落ちるという事態を招いた。事業買収の成果が「1+1=2(かそれ以上)」の結果にならないという経験をしていたのだ。
NECのパソコン事業については、その経験を生かして、レノボのなかに取り込まないジョイントベンチャー方式を採用し、しかも、独立した企業で事業を運営する手法を用い、NECブランドも維持することにした。
もうひとつが、パソコンの生産拠点である山形県米沢市の米沢事業場や、サービス拠点である群馬事業場を継続的に活用するという決断をした点だ。
レノボグループの戦略から見れば、生産拠点を成熟市場に置くという発想はなく、日本の生産拠点を閉じて、コスト面でメリットがある海外の生産拠点に移管するという選択肢があったのは明らかだ。だが、NECブランドのパソコン事業を、日本で継続的に成長させるとともに、日本におけるレノボブランドの浸透においても、米沢事業場や群馬事業場が持つ経験と知識を活用するとことが得策だと判断した。
-
NECのパソコン事業を活かした合弁のかたちが、結果としてその後の成功につながった
その成果は十分に発揮されている。米沢事業場では、日本市場に最適なNECブランドのPCを迅速に市場投入する生産体制を維持するとともに、レノボブランドのThinkPadシリーズの日本市場向け製品の生産を新たに開始したり、品質にこだわりつづける生産ノウハウを、中国などの生産拠点に展開したりといったことが行われ、レノボグループ全体の競争力強化にも貢献している。また、群馬事業場では、レノボブランドのパソコンの修理やサポート、キッティングなどを実施しており、24時間以内の修理完了率は95%に達し、外資系パソコンメーカーとしては異例ともいえる圧倒的なスピードで修理対応が可能になっている。
ジョイントベンチャーが発表された2011年1月のNECのプレスリリースでは、「両社は強固なマーケットポジション、製品群の充実や販売チャネルの拡大を通じて、日本における企業向け・コンシューマ向けパソコン事業の強化を目指します」としていたが、10年以上の歳月を経過したいま、その言葉は現実のものになっている。
MM総研によると、2023年度の国内パソコン市場におけるNECレノボ・ジャパングループのシェアは、24.3%となり、トップシェアを維持。このボジションは、ジョイントベンチャーを開始して以降、不動のものとなっている。
-
国内のPCシェア。NECレノボ・ジャパングループがトップシェアを維持しつづけている
そして今、NECとレノボの合弁にも転機が?
だが、ここにきて、NECレノボ・ジャパングループとしてのジョイントベンチャーにもひとつの転機が訪れているようだ。
NECブランドの企業向けパソコンは、ジョイントベンチャー以降も、引き続き、NEC自らが販売を行ってきた。
つまり、NECブランドの個人向けPCであるLAVIEシリーズは、NEC PCが設計、開発、生産、販売、サポートを行なう一方、法人向けのVersa ProやMateは、NEC PCが設計、開発、生産を行っているが、販売はNECの法人部門が担当。NECのシステム商談を行なう直販部門や、全国の販売店に流通する販売部門を通じて、企業や自治体、政府などの公共分野に流通していたのだ。
だが、2025年4月以降、これをNECパーソナルコンピュータに移管することが発表されている。NECブランドの個人向けPCおよび法人向けパソコンの設計、開発、生産、マーケティング、販売が、NECパーソナルコンピュータに統合することになる。
これにより、法人向けのパソコン販売の商流がシンプルになり、価格競争力や納期の短縮化といったメリットが生まれることになる。
さらに、NECとレノボグループの契約についても、節目を迎えようとしている。
両者による当初の契約は、2011年7月1日から2016年6月30日まで、レノボが51%、NECが49%の出資比率を維持し、NECブランドによるPCの生産と販売を、NECパーソナルコンピュータが行うという5年間の時限的な内容であったが、これが2014年に変更され、2016年6月30日までに契約期間を2年間延長。さらに、2026年6月30日まで契約を自動更新し、話し合いによって出資比率を変更しながら、ジョイントベンチャーを継続できるようにした。これを受けて、2016年7月には、NECが持つ株式の一部をレノボが取得し、出資比率はレノボが66.6%、NECが33.4%となり、その状況のまま現在に至っている。
契約上では、日本国内においては2026年まで、NECブランドを使用した事業展開が可能になっているが、このタイミングで、今後の契約の継続について、話し合いが行われることは明らかだ。
NECの森田隆之社長兼CEOは、2024年10月のインタビューで、「今後のジョイントベンチャーの維持については、両者の話し合いによって決めることになる。変更することでお客様にバリューがあれば、それを検討することもあるだろうが、いまは変更する必要がないと考えている」と語っている。
果たして、両者の関係は、今後どうなっていくのだろうか。次代に向けた節目を迎えているのは確かである。