先日、明らかに岩下の新生姜との誤認を狙った珍生姜団の爆走が目に余ったせいか、本家である岩下食品の方がパケを一新するということがあった。

岩下に限らず、食品業界には類似品問題が多い。萩の月など50個ぐらいドッペルゲンガーが存在すると言われている。

ドッペルゲンガーならお互いが出会った時どちらかが消滅するので、自然淘汰され最終的に強い萩の月だけが残る。

しかし実際は、萩の月と荻の月のドッペルゲンガーが顔を合わせても、萩の月は「マジかよ」という顔をするだけで何もできず、その間にもハゲの月がアップを始めている有様である。

日本は諸外国に比べ権利問題が緩いと言われているが、特に食品関係は権利の獲得が難しいらしく、今のところ「類似品に気をつけろ」と注意喚起するか、新生姜のように本物がパケを変えるなどの対策を採るしかないのが現状のようだ。

ごくたまに、歴史あるご当地銘菓の商品説明の紙に「うちこそが元祖、類似品は買うな、旅行に来てまでバッタものを買って喜んでんじゃねえ、お前はハワイの免税店でブノレガソとか買って帰国するのか?(意訳)」と、商品の歴史より類似品への怒りが書かれていることがあるので、いかに類似品問題は深刻かがうかがえる。

食べ物の諍いといえば「きのこたけのこ戦争」が有名だが、あれはトマトを投げ合う奇祭みたいなもので、その裏ではもっとガチの戦が起こっているのである。

信玄餅の食べづらさは「詫びさび」の域

類似商品に関しては黙認されている場合もあるが、実際裁判沙汰になったケースも決して珍しくない。あの山梨銘菓として有名な「信玄餅」もその一つである。

すでに和解は成立しているので詳細は省くが、現在は「信玄餅」と「桔梗信玄餅」が二大信玄餅となっている。

両者の違いは、信玄餅の方は昔ながらの信玄餅。桔梗信玄餅の方はスタンダードな信玄餅に加え、アイスやロールケーキなどの和洋折衷はもちろん、「カントリーマアム」とのコラボも果たしている。

さらに「桔梗信玄生プリン」など、ついに餅が桔梗の自由さについていけずどこか行ってしまったものがあるかと思いきや、「信玄桃」なる「似てるけど前の彼女と違うよな?」という相方を連れて帰ってきたりと、とにかく周りをハラハラさせている方が桔梗信玄餅である。

他にも桔梗屋からは「シャインマスカット生クリームどら焼き」など、信玄とすら別れた商品も多数販売されている。このように枠に囚われていないのが桔梗信玄餅だが、信玄餅自体は枠に囚われた食べ物である。

信玄餅といえば、小さな容器の中に餅ときなこが入っており、その時点で表面張力ギリギリだが、その上に黒蜜をかけるため「綺麗に食えないスイーツ」としても有名だ。

その後、容器に餅を入れたまま黒蜜をかけるのではなく、風呂敷状になっている包みの上に餅を出してから黒蜜をかけるというのが正しい食べ方だと提唱されたが、いまいち定着していない気がする。

そもそも信玄餅を綺麗に食べられないやつは、餅を風呂敷に移した時点で、超サイヤ人がオーラを発したかのように粉を飛び散らせてしまう。

結局、信玄餅の食いづらさは「侘び寂び」であり、むしろ粉で一喜一憂するのが粋な食い方だ。もし富豪村で信玄餅が出てきたら、高橋一生は皿や風呂敷などのダミーには目もくれず、容器直に黒蜜ビシャーのきなこブフォで大勝利である。

人気爆発中の「極まった」信玄餅

  • 桔梗信玄餅が「全部」食べられるようになりました

そんなわけで、特に大きな変更をされることなく令和まできてしまった信玄餅の容器だが、2021年末、ついに容器に手が加えられた新商品を桔梗屋が発売し大きな話題になった。 人気過ぎて社員どころか社長も食べられないレア度となっており、ネット転売にも悩まされているそうだ。

その名も「桔梗信玄餅極」である。何が極まったかというと「全部食べられるようになった」のだ。

従来の信玄餅は容器がプラスチックであり、どんなデブでも底に溜まったきな粉や黒蜜を舐め回す程度で終わっていた。

しかし、この極は容器が「最中」でできているため、容器ごと食べられるのである。これなら、底にへばりついたきな粉や黒蜜を断腸の思いで諦める必要がない。

しかし、食べやすくなったかというと相変わらずきな粉は最中の容器ギリギリまで入っており、むしろプラスチックを最中にしたことで「黒蜜漏洩」というプラ時代にはなかった災害が起こる可能性すらある。

黒蜜をかけた後、同じく最中でできたフタをして一口で食う、という忙しいビジネスマンみたいな食い方をすれば周囲の被害は最小に抑えられるかもしれないが、信玄餅は忙しい時に食うスイーツではない気がする。それに、信玄とは言え餅である、一気食いは死者を出しかねない。

つまり信玄餅極は「食いづらさ据え置き」である。信玄餅の侘び寂びが失われていなくて安心した。

新しいものを取り入れつつも、根本は変えない。これこそが長く愛される老舗の特徴である。