「2022年は、エプソンが環境に対して、やるべきことを明確にし、それを仕込んでいく1年になる」――。セイコーエプソンの小川恭範社長は、2022年の方向性をこう語る。
2021年3月に、中期ビジョン「Epson 25 Renewed」と、環境戦略である「環境ビジョン2050」を打ち出し、これまでの「性能のいい商品を作ってたくさん売る」という姿勢からの脱却を明言。「社会課題を起点に、私たちの技術でその課題を解決していく」という新たな方向性を示しながら、企業体質の変革を図っているところだ。コロナ禍において、在宅印刷需要が増加する一方、部品不足や部品価格の高騰などの影響が長期化。そのなかで、家庭用インクトジェットプリンターでは、2021年の年末商戦向けの新製品投入を見送るという大胆な施策を打ち出しながら、エプソンが先行している大容量インクタンクモデルの販売拡大を図るなど、新たな挑戦にも取り組んでいる。
セイコーエプソンの2022年の取り組みについて、小川社長に話を聞いた。
―― 2021年は、エプソンにとってどんな1年でしたか。
小川:引き続き、新型コロナウイルスの影響を受けた1年であったといえます。私自身、2020年4月に社長に就任以来、海外拠点を訪れることができないまま、いまに至っています。ただ、コロナ禍が様々な影響を及ぼすなかで、大きく変化するだろうと思っていたものが、あまり変化しなかったという実感があった1年だったともいえます。というのも、2020年の在宅需要は一過性のものだと思っていたものが2021年も継続し、物流の混乱も長期化し、半導体不足も継続しています。ここには、もう少し変化があるだろうと思っていたのです。もちろん、現場では、大きな変化への対応に追われた1年でしたが、2年前にはイレギュラーだったことが常態化してしまったことを強く感じます。
市況を見てみますと、国や地域によって濃淡はあるものの、全体的には、コロナ危機による落ち込みからは回復傾向にあると考えています。その一方で、半導体をはじめとする部品や原材料不足の深刻化、海上物流のひっ迫などによる供給制約は継続しています。また、それに伴う部材費の高騰、輸送コストの高止まりは、引き続き、懸念材料となっています。エプソンでは、調達先の拡大や、代替部品を活用するための設計対応、工場の分散化などの対応を実施しているほか、一部製品に関しては、価格対応や費用抑制を継続するといったことも進めています。
新型コロナウイルスによる影響の終息時期を見通すことは困難であり、同時に供給制約がいつまで継続するのかといったことにも注視する必要があると考えています。
―― しかし、業績は好調ですね。
小川:現時点では、需要に応えきれてないというのが実態であり、部品価格が上昇している分、販売価格も対応せざるを得ない状況にあります。また、こうした時期ですから、費用抑制にも取り組んでいること、Epson 25 Renewedで打ち出したように、過度な成長を追わず、利益を重視する事業体質の強化にも取り組んでいます。そうした意識が、社内にも定着してきたことが大きいといえます。2021年度の通期業績は、売上収益が前年比13.5%増の1兆1,300億円、事業利益が29.8%増の800億円、当期利益は、68.2%増の520億円を予想しています。
ただ、いまは、コロナ禍の市場環境が、エプソンに有利に働いているということもしっかり理解する必要があります。たとえば、家庭向けプリンター市場は、落ち込んでいくというトレンドでしたが、これがコロナ禍の在宅印刷需要の増大と、それが継続的に続いていることで、大きく変化しています。数字だけで判断するのではなく、「持続可能でこころ豊かな社会を実現する」という「ありたい姿」に向かっているのかといったことを捉える必要があり、それに関しては、まだまだは離れているということは理解しています。
―― 2021年3月に打ち出した長期ビジョンの「Epson 25 Renewed」の1年目の成果はどう捉えていますか。
小川:成果といえるものはまだありませんが、今後はやり方を変えていかなくてはいけないという意識は、社内に確実に広がっています。とくに、環境に対して、なにができるのか、2050年のカーボンマイナスと地下資源消費ゼロに向けて、なにをしなくてはならないのか、何が足らないのかということを真剣に考え始めています。いいモノをたくさん作って、たくさん売ってという成長の仕方を見直さない限り、私たちが打ち出した「環境ビジョン2050」は実現できないと認識しています。
すぐには変わりませんが、長く使ってもらうことを重視するという方向にビジネスを変えなくてはならないことが、社員の間に定着しはじめています。私は、社内に向けて継続的にメッセージを発信しているのですが、その反応を見ても、環境への取り組みをベースに、会社が変わろうとしていることを実感したり、共感したりする社員が増えていることがわかります。社員の共感を得ることで、Epson 25 Renewedを、自信を持って前に進めることができます。
―― 逆に課題はなんでしょうか。
小川:きれいごとだけで進め、経済合理性が伴わないと、この取り組みは継続できませんし、失敗することになります。そのバランスをしっかりと取っていく必要があります。利益の面でも結果を出しながら取り組んでいくことが大切です。
―― Epson 25 Renewedでは「5つのイノベーション領域」で事業を捉えています。それぞれの領域への取り組みについて教えてください。まず、オフィス・ホームプリンティングイノベーションにおいては、2022年はどんな点に力を注ぎますか。ここでは大容量インクタンクモデルの動きが気になります。
小川:大容量インクタンクモデルについては、部品調達難や物流遅延などによる供給制約の影響を受ける一方で、引き続き、在宅印刷需要が継続すると見ています。先進国市場では、今後も在宅勤務をしたいといったニーズが高いですし、一カ所に集まるのではなく、分散したオフィスで働きたいという動きも顕著になっており、在宅印刷需要は一過性のものではないと捉えています。
欧米での認知度向上やレーザープリンターからの置き換えが見られるほか、国内においても、大容量インクタンクモデルが、お客様の選択肢として、だいぶ定着してきました。オフィスにおけるプリンターの分散設置に最適であることや、インクカートリッジをこまめに交換しなくてもいいという使い勝手の良さも受け入れられています。EMEAでは、ウサイン・ボルト氏を起用した訴求活動が功を奏していますし、中国やオーストラリアでもタレントなどを使ったプロモーションを行っており、この2年で認知度が高まっています。
エマージング市場では新型コロナによる影響からの回復などもあり、2021年度は、大容量インクタンクモデルだけで、全世界で、前期比19%増となる約1,240万台の出荷を見込んでいます。これはインクジェットプリンターの全販売台数の約7割を占めます。印刷コストのメリットや、環境性能などの訴求を進めるとともに、サブスクリプション形態による印刷サービスの提供も行い、大容量インクタンクモデルならではの強みを活用して、展開していく考えです。
また、オフィス向け高速ラインインクジェットの販売については、消費電力の低さなどの魅力が、多くのチャネルパートナーや顧客から注目されており、販売台数は堅実に伸長しています。欧州では、インクジェットプリンターが環境に最適であるという認識が企業ユーザーの間で高まっています。高速機に加えて、低速機も成長しており、今後は、中速機のラインアップを強化していく予定です。
―― 2021年の年末商戦に向けては、インクジェットプリンターの新製品を投入しないという異例の戦略を取りました。その理由はなんですか。そして、結果はどうですか。
小川:部品調達の遅れに伴い、商品の供給不足が発生しており、製造現場での新商品切り替えに伴う高負荷を避け、商品供給を最優先したのが理由です。部材不足によって、作れるものに限界があるのならば、大容量インクタンクモデルを優先して生産することにしました。
エプソンのインクジェットプリンター事業において、今後は、大容量インクタンクモデルを中核に据えるという方向性にブレはありません。力を入れているところに力を入れているというわけです。
結果として、年末商戦において、エプソンはトップシェアを獲得し、大容量インクタンクモデルの市場構成比も約13%に達し、そこにおけるエプソンのシェアは64%に達しています。
―― 商業・産業プリンティングイノベーションの取り組みはどうですか。
小川:戦略領域のサイネージ、テキスタイルを中心とした商業産業分野のラインアップの拡充を図ったほか、多様なニーズに応えするために、印刷現場の色合わせに関する課題を解決できるエプソン初の測色機の販売も開始しました。また、テキスタイルのソリューションセンターをリニューアルし、分散印刷やクリーンな生産環境など、デジタルによる新たなテキスタイル印刷を提案していくことになります。
商業・産業プリンティングの分野も、コロナ禍で分散印刷の動きが出ていますし、多品種少量印刷のニーズも増えています。こうしたニーズに、デジタルを使ったインクジェットプリンターが応えられるといえます。プラットフォーム化したことで、開発費を抑制しながら、小型化や薄型化した特徴のある製品ラインアップを行うことができ、多様化するニーズにも対応できます。この分野では、しっかりと現場のニーズを捉え、商品単体だけでなく、ソリューションに落とし込み、生産現場の革新を図ることが大切だと考えています。将来に向けて、ソリューションを軸にしたビジネスを展開できるように準備をしていきます。
2021年12月には、京都大学大学院総合生存学館アートイノベーション産学共同講座との共同研究で、アートイノベーションとエプソンのデジタル捺染を融合させた新たな価値の創造に取り組んでいます。
商業・産業プリンティングでの課題は、中国市場でどう展開するかといった点です。中国では数多くのメーカーが参入し、水平分業を生かして、低価格の製品を、すばやく投入するといったビジネス展開をしています。ここにエプソンの高品位の特徴をどう伝えるかが鍵になります。ただ、エプソンでは、プリントヘッドであるPrecisionCore(プレシジョンコア)の外販を約2年からスタートしており、最終製品だけで競合するのではなく、これを供給する立場でもビジネスをしていきます。2021年は、PrecisionCoreの新商品を追加し、ラインアップを6シリーズに拡充しました。プリントヘッドの強みをもっと生かしていきたいですね。
―― スカラロボットを中心としたマニュファクチャリングイノベーションの領域では、なにがポイントになりますか。
小川:製造現場では、新型コロナウイルスの影響などもあり、世界的な人件費の上昇や、人材獲得競争の激化、安定生産に対する重要性の高まりに加えて、工場の分散化が見込まれています。そうしたなかで、ロボット市場は今後も高い成長を継続すると予想しています。
エプソンの産業用スカラロボットは、10年連続で世界シェアナンバーワンとなっていますが、これを軸にして、製造現場のスマート化を提案していくことになります。たとえば、ロボットのプログラミング環境の簡易化に寄与するロボット統合開発環境の提供や、システム設計にかかる時間を大幅に削減する統合管理が可能なシステムの提案など、ソリューションの面でも、引き続き経営資源の投下を継続し、さらなる事業拡大を目指していきます。
スカラロボット本体だけでなく、センサーや検査装置、小型射出成型機などの商材を増やしていくこと、生産装置全体のシステム構築に向けてコンサルティングから提案を行うこと、エプソンに蓄積している組み立てのノウハウを提供すること、生産現場を管理し、課題を解決する提案を行うことなどが差別化になると考えています。
―― プロジェクターを中心とするビジュアルイノベーションや、ウオッチ事業などによるライフスタイルイノベーションは苦戦しているようですが。
小川:確かに、事業環境は厳しい状況が続いています。ビジュアルイノベーションでは、事業構造改革に継続的に取り組むとともに、プロジェクターの新しい可能性を提案していきます。たとえば、教育用途では、アフリカでは、教育基盤の脆弱さや、格差の広がりを解決することを目的に、公平で質の高い教育環境を提供するためのプロジェクトを立ち上げました。今後は、多様なデジタル教材や、教育クラウドプラットフォームへの対応を進め、遠隔でも良質な教育環境の実現を目指します。
また、ホーム用途では、家庭でのオンラインコミュニケーションの増加や、ライフスタイルの多様化が進むのにあわせて、迫力ある音を楽しむための高性能スピーカーの搭載や、Wi-Fi環境での動画サービスを楽しめるAndroid TV機能の搭載など、プロジェクターのスマート化によって、一人ひとりのライフスタイルにあった映像体験を提案していきます。
プロジェクターは、構造改革領域に位置づけているビジネスですし、いまは、これまでのビジネスを継続しなから、次の飛躍のチャンスを狙っている時期にあると考えています。ただ、拙速にビジネス成長を狙うということではなく、利益が出せ、事業を継続できる筋肉質な体質にすることを優先し、やれることに挑戦していくことが前提です。様々なトライアルを通じて、チャンスを掴みたいですね。
また、ライフスタイルイノベーションでは、新型コロナウイルスの影響でウオッチ市場全体が厳しい環境にあります。メリハリを付けた費用コントロールを行い、収益性改善を図っていきます。その一方で、新たな生活様式や価値観が生まれ、人々のライフスタイルの多様化が一層進んでいますから、そこに向けて、エプソンのスマートセンシングで、楽しさと健康を提供する取り組みも推進していきます。ここでは、ゴルフスイング解析システム「M-Tracer」を活用した取り組みなどがあります。センサー単体の性能だけでなく、データを重視したり、アルゴリズムによって価値を生み出したりといった提案がこれからはますます重要になると考えています。
さらに、(Epson 25 Renewedの)5つのイノベーションを支えるマイクロデバイスの領域では、幅広い領域への応用が進められている一方で、水晶デバイスや半導体の需要は旺盛であり、これまで以上に安定した供給が求められるようになってきました。自社工場の能力を最大限に活かしつつ、外部企業への販売強化や、シリコンファンドリービジネスによる生産の効率化などにも取り組んでいきます。
(後編へ続く)