2021年7月1日、NECとレノボのパソコン事業のジョイントベンチャーがスタートして10年の節目を迎えた。この成果は、日本のパソコン業界関係者の想像をはるかに超えるものだったといえるだろう。それを証明するように、この2つのブランドは日本のパソコン市場のトップブランドになっている。

調査会社の調べによると、2020年度(2020年4月~2021年3月)の国内パソコン市場において、レノボ・ジャパンは16.5%のシェアを獲得し、前年の5位から首位に躍り出たほか、NECパーソナルコンピュータも15.9%のシェアで2位。NECレノボ・ジャパングループが、1位と2位を初めて独占した。2社合計のシェアは32.4%。国内市場の約3分の1を占めている。

レノボとNEC。2つのブランドが国内パソコン市場でトップシェアとなったことからも、10年間のジョイントベンチャーの取り組みは成功だったといえるだろう。ここでは短期連載として、10年間の節目を迎えたNECレノボ・ジャパングループの現在、過去、未来を追ってみる。

2011年1月27日 午後7時10分

2011年1月27日の午後7時10分という遅い時間から、都内のホテルで緊急会見が行われた。内容は、「NECとレノボが合弁会社を設立、国内最大のパソコン事業グループが誕生」――。

国内パソコン市場において、トップシェアを維持しつづけてきたNECと、当時は世界第4位のパソコンメーカーであったレノボがジョイントベンチャーを設立し、新たな体制で日本におけるパソコンビジネスを推進するというものだ。当日の午後には、NECが2010年度第3四半期の決算発表を行っていたが、そこでは何も触れずに、数時間後のいきなりの緊急会見となった。

発表されたスキームは、新たにNECレノボ・ジャパングループを発足し、レノボが51%、NECが49%を出資する合弁会社「Lenovo NEC Holdings B.V.」を設立。この合弁会社の傘下に、NECパーソナルプロダクツからPC事業を分離して設立するNECパーソナルコンピュータ株式会社と、レノボブランドのパソコン事業を行っていたレノボ・ジャパン株式会社の2社が入る。いずれも、Lenovo NEC Holdings B.V.の100%子会社だ。

会見には、レノボ・グループのヤン・ユアンチンCEO、NECの遠藤信博社長という両社トップに加えて、レノボ・ジャパンのロードリック・ラピン社長、NECパーソナルプロダクツの高須英世社長も出席(人物と役職は当時のもの)。会見場には多くの記者が詰めかけた。

  • (人物と役職は当時のもの)左から、レノボ・ジャパンの代表取締役社長 ロードリック・ラピン氏、レノボ・グループのシニア・バイス・プレジデント 成熟市場グループ プレジデント ミルコ・ファン・デュイル氏、レノボ・グループのシニア・バイス・プレジデント&CFO ワイ・ミン・ウォン氏、レノボ・グループのCEO ユアンチン・ヤン氏、NECの代表取締役 執行役員社長 遠藤信博氏、NECの取締役 執行役員常務 國尾武光氏、NECパーソナルプロダクツの代表取締役 執行役員社長 高須英世氏

NECの遠藤社長は、「NECにとって大きな広がりを与える提携になる」と前置きし、「グローバルのPCマーケットで第4位というレノボの力と、長い間、国内市場ナンバーワンを維持し続けているNECとの戦略的提携によって、より大きな強い力が生まれ、マーケットポテンシャルを築き上げることができる。NECの企画力や開発力、品質の強みに加えて、レノボのワールドワイドのスケールメリットを生かした調達が可能になる。収益性の改善と、国内市場における圧倒的なナンバーワンシェアを目指すことができる」とコメント。

レノボグループのヤン・ユアンチンCEOは、「中国でナンバーワンシェアを持つレノボが、今回の戦略的提携によって、日本でもトップシェアを獲得することになる。世界3大市場のうち、2つの市場でトップシェアになり、世界トップ3社を追撃する体制が整う。今回の協業によって、日本におけるマーケットリーダーとしてのポジションが強固なものになる」と、意気込みを見せた。

会見が行われた時点で最新の四半期データとなった2010年第3四半期(2010年7~9月)の世界シェアでは、米ヒューレット・パッカードが17.8%、台湾エイサーが13.1%、米デルが12.6%。この上位3社に対して、レノボはNECを加えることで11.2%と4位につけた。

一方で日本国内市場においては、2009年度実績で両社合計は22.8%のシェア。2位の富士通(17.9%)に対してさらに差を広げた。高須社長は、「両社あわせて日本で30%のシェアを獲得したい。日本で圧倒的なシェアナンバーワンを獲得できる」とコメントした。

  • NECとレノボの開発連携による強み(2011年1月27日の記者会見から)

  • 日本市場で強いNECと、ワールドワイドで強いレノボ。レノボの部材調達力をNECも活用できるようになり、両社としてワールドワイドのシェア増を見込む(2011年1月27日の記者会見から)

NECのパソコンが消える?

このジョイントベンチャーが発表された当時、パソコン業界の話題の中心は、NECのPC事業の行方だった。端的にいえば、NECブランドのパソコンが、近い将来なくなってしまうのではないか、という懸念が先行したのだ。

その見方を助長させた要因が2つある。

ひとつは、レノボとNECの契約のなかに、5年を経過した時点でどちらかの会社が希望すれば、NECが持つ49%の株式をレノボが買い取り、ジョイントベンチャーを解消できる条件が付帯されていたことだ。つまり、ジョイントベンチャー発足から5年を経過した時点で、NECパーソナルコンピュータは、レノボの100%子会社になる可能性が指摘されたのだ。

そして、もうひとつはこの5年という期間に前例があったことだ。レノボは、NECとのジョイントベンチャーの前にIBMのパソコン事業を買収している。2005年に買収した時点で、その後の5年間にわたってIBMのブランドを使用する権利を得ていたが、わずか3年でIBMロゴの使用をやめ、レノボブランドに統一した経緯があった。これによって、買収から数年間は、IBMのThinkPadであったものが、LenovoのThinkPadになってしまったのだ。当然、これと同じことが起こるという憶測は一気に広まった。少なくとも、5年後にはNECブランドのパソコンはなくなるというのが大筋の見方だった。

だが、NECパーソナルコンピュータの社長に就任した高須氏は、会見直後からその見方を否定していた。

「契約のなかでは、必ず提携関係を解消することを想定した内容が盛り込まれる。これは、そうした事態になった場合のひとつの条項として盛り込まれたものだというのが私の理解。この条項があることと、それが実行されるかどうかは別の話と捉えている。

もし、これから5年後に、レノボがNECのブランドをなくした場合、その時点で国内における約20%のシェア、2,000億円の事業がなくなる。レノボにとってのメリットはまったくない。逆に、日本におけるNECブランドのパソコンの存在感がさらに高まれば、NECブランドのパソコン事業は、日本において継続し続けることになる」(高須社長)

  • ジョイントベンチャー発足時の体制概要(2011年1月27日の記者会見から)

その考え方は、レノボも同じであった。

レノボはIBMのパソコン事業の買収において、ThinkPadなどのブランドは残したものの、組織をレノボのなかに完全統合するという手段を取った。だがその結果、多くの社員が退職したり、ThinkPadのユーザー離れが起き、シェアが落ちるという事態を招いた。事業買収の成果が「1+1=2(かそれ以上)」の結果にならないという経験をしていたのだ。

そうした経緯もあり、NECのパソコン事業については、レノボのなかに取り込まず、ジョイントベンチャー方式を採用。さらに、NECパーソナルコンピュータという独立した企業で事業を運営する手法を用いた。

NECパーソナルコンピュータでは、全社員の約2割にあたる400人が早期退職制度の対象となったが、IBMのパソコン事業買収とは異なる手法を採ったことで、NECブランドのパソコンを独立した体制で開発・生産・販売・サポートすることにこだわり、社員の流出を防いだ。大きかったのは、NECブランドのパソコン開発・生産拠点である山形県米沢市の米沢事業場、および保守拠点であった群馬県太田市の群馬事業場も、そのまま維持することを決定した点だ。

このとき、レノボ本社に対して、米沢事業場と群馬事業場の存続を強く主張した一人が、レノボ・ジャパンの社長を務めていたロードリック・ラピン氏であった。ラピン氏は、取材のなかでこんなことを明かしてくれたことがあった。

「生産拠点を成熟市場に置いている企業はほとんどなく、レノボのグローバル戦略からみても、コスト面でメリットがある海外の生産設備を移動させる選択肢があったのは確かだ。だが、NECブランドのパソコン事業を継続的に成長させるため、そして、レノボブランドのパソコン事業を日本で成長させるためにも、米沢事業場や群馬事業場が持つスキルと知識を活かしたいと考え、生産拠点も日本に留めようとした。

成熟市場に生産拠点を置いて維持するには、イノベーション力や生産性、効率性が重要になってくるが、米沢事業場の従業員はそれを理解して、世界で戦おうという意識が強い。米沢事業場であれば、改善を続け、世界と戦える競争力を維持できる」(ロードリック・ラピン氏)

  • NECの米沢事業場(山形県)

  • NECの群馬事業場(群馬県)

オーストラリア出身のラピン氏は、高校時代に来日。福島県のスキー場でアルバイトをした経験があるなど、日本の文化まで良く知る人物だ。2008年10月にレノボ・ジャパンの社長に就任する以前は、デルの日本法人にも勤務。日本のパソコン市場についても熟知していた。そのレノボ・ジャパンのトップが、NECの拠点の維持を主張したことは、レノボ本社の判断にも大きな影響を与えたのは明らかだ。

2021年現在の米沢事業場では、NECブランドのパソコンだけでなく、ThinkPadなどレノボブランドの製品も生産。群馬事業場では、レノボブランドのパソコン修理やサポート、キッティングなどを実施。24時間以内の修理完了率は95%に達し、外資系パソコンメーカーとしては異例ともいえる圧倒的なスピードで修理を行えるようにしている。

2021年6月時点の契約と状況は?

レノボとNECの契約内容(当初)は、2011年7月1日から2016年6月30日まで、レノボが51%、NECが49%の出資比率を維持するとともに、NECブランドによるPCの製造と販売を、NECパーソナルコンピュータを通じて行うという5年間の時限的なものであった。この内容は2014年に変更され、2016年6月30日までに契約期間を2年間延長。さらに、2026年6月30日まで契約を自動更新し、出資比率を変更しながら、ジョイントベンチャーを継続できるようにした。

これを受けて、2016年7月には、NECが持つ株式の一部をレノボが取得し、出資比率はレノボが66.6%、NECが33.4%となり、現在に至っている(2021年6月時点)。

契約上では、日本国内においては2026年まで、NECブランドを使用した事業展開が可能になっているが、2021年6月の時点でレノボ・ジャパンおよびNECパーソナルコンピュータの社長を務めるデビット・ベネット氏は、以下のように語っている。

「1979年に世界初のエンドユーザー向けパーソナルコンピュータであるPC-8001を発売して以来、40年以上の歴史を持つパソコンブランドの存在はとても大切である。日本では、パソコンといえばNEC。日本のパソコンの歴史は常にNECがリードしてきた。NECブランドを止めることはまったく考えていない。日本で愛され続けているブランドは、これからも維持する」(デビット・ベネット氏)

2026年以降のNECブランド継続について断言。このジョイントベンチャーによる取り組みはまだまだ継続するという姿勢を、この10年目の節目で改めて強調してみせた。

ジョイントベンチャーが発表された2011年1月のNECプレスリリースでは、「両社は強固なマーケットポジション、製品群の充実や販売チャネルの拡大を通じて、日本における企業向け・コンシューマ向けパソコン事業の強化を目指します」としていたが、10年を経過したいま、その言葉は現実のものになっている。世界で最も成功したパソコンのジョイントベンチャーだといっていいだろう(つづく)。